めざせ!ハーフマラソン

 仕事のかたわら趣味に小説を書き続けている後嶋春夫が、四十五歳にしてマラソンを始めたのには、実は理由らしきものが二つほどあった。
 ひとつは、腸閉塞による七転八倒のあげく、開腹手術をうけて九死に一生を得るに至り、健康の大切さを痛切に思い知らされたからだった。健康維持のために何かスポーツをしなくてはとしみじみ思ったのである。
 ふたつめは、かの敬愛する作家ムラカミハルキ氏がマラソンを続けていることに、以前から興味を抱いていたことにある。
「よおし、オレも走るぞ!」と決心はしたものの、実際に走り始めるまでには、いくつかの乗り越えねばならない難関があった。
 まずは、家族である。
『今日から、オレは健康のために毎日走ることにする!』なんて華麗なセリフを口にした途端、家族から、どれほどの嘲笑や揶揄を浴びせかけられるかわからない。
 中でも、その急先鋒が妻である。
「あんたみたいなガリガリのヘナチョコが、走るなんてできるはずないでしょ。どっちみち三日坊主で終わるんだから、最初からやめときなさい!」などという冷酷なセリフが予想される。
 次は高二の娘である。
「お父さんが、近所でマラソンなんかしてたら、私恥ずかしくって外も歩けないから、そんなことゼッタイにやめてよね!」と益々嫌われそうだ。
 更には世間の目というものがある。この痩せた中年男が、道路をヒーフーハーフーと喘ぎながら苦しそうに走っていたら、近所の人は何と思うだろう。外見上は無視していても、内心せせら笑われそうである。
 ……などと心の葛藤を続けているうちに、またたくまに二週間以上が過ぎてしまった。

 七月上旬の、とある日曜日の午後のことである。たまたま妻は一人で買い物に出かけ、娘は塾に行っていた。外は気持ちの良さそうな初夏の陽光が降り注いでいる。
 よし、これはまたとない絶好のチャンスだ。春夫はおもむろにジャージに着替え、運動靴を履いて外に出た。近所の人に見られるのを避けるように、そそくさと数回の屈伸運動をすませ、すぐに勢いよくスタートした。
 内心照れながらも走り始めてみると、頬に流れる初夏の風は思いのほか心地よい。足裏に感じるアスファルト道路の感触も懐かしい。こりゃあ、なんとか行けそうだ。一刻も早く住宅街を抜けようと、ややスピードを上げ気味に駆けた。
 でも、これがいけなかった。
 五分もしないうちに、ドクドクと心臓が高鳴り、頭の裏あたりを鼓動が激しく打ち始めた。あわててペースを落とした。しかし胸の苦しさは一向におさまりそうにない。心臓が破裂しそうなほど苦しい。すぐに道路をUターンをして自宅に向かう。頭の奧の脳みそが、鉄のハンマーでグワングワンと激しく殴られている。額や首、背中あたりからダラダラと汗が噴き出してくる。息も絶え絶えの状態で家の前まで辿り着いた。眩暈を感じて、玄関の段差にヘナヘナと座り込んでしまう。あたりの世界が、赤と黄色に入り交じって見えた。
 そんな時だった。妻の乗った赤い軽自動車が視界の中を素早く横切って止まった。
 しまったと思ったが、もう後の祭りである。
「あんた、何やってるの?」
 運転席から降りて来るなり、妻が怖い顔つきで春夫を睨みつけてきた。
「……ゼーゼー、マ、ゼー、マ、ラ、ゼーゼー、ソ、ゼー、ソン、ゼーゼー……」
「……マ・ラ・ソ・ン?って、そんなに急に走ったりして、アンタ、また腸閉塞にでもなったらどうすんのよ?」
 春夫は、首を大きく横に振る。
「今度、手術受けても、もう看病なんかしてやんないわよ!」
「ゼーゼー、ケン、ゼーゼー、コウ、ゼー、ノ、ゼー、タ、メ、ゼーゼー」
「……何がケンコウのためよ……心臓に負担がかかって、逆に不健康そのものじゃない。ホント、バカじゃないの?」と冷たく言うなり、妻は春夫の疲弊した様子など全く無視して、さっさと家に入っていってしまった。
 予想以上の最悪パターンである。春夫は、動悸と呼吸がすっかり落ち着くのを待ってから、すごすごと玄関に入っていった。

 ところがである。翌日、仕事から帰ってきた春夫は、再びジャージに着替え、運動靴を履いて準備運動を始めた。前日の疲労困憊の原因は、準備運動不足とハイペースに違いないと考えた春夫は、ラジオ体操のメロディを心の中で口ずさみながら時間をかけて丁寧に体をもみほぐした。準備運動をひととおり終えて、ゆっくりと走り始める。無理をせずに、体力の範囲内でのんびり走り続けた。
 前日、Uターンした地点まで来たが、激しい動悸は襲ってこなかった。額に汗がじんわりと滲んできたあたりで、来た道を戻り始めた。帰り道も、スローペースで走り通した。
 大丈夫だった。昨日のような動悸も眩暈も息切れも吐き気もない。そうなんだ。自分のペースで、ゆっくりと楽しみながら走ればいいんだ。春夫は、二日目にして、ようやく自分の新しい可能性を見出した気がした。

 ところが、その日の夕食の席で、とうとう家族との大バトルが勃発した。
「パパったら、昨日から突然マラソンなんて始めちゃったのよ! 自分の歳をちゃんと考えてるのかしら?」と妻が娘に語りかけた。
「何それ?マジ?ウソでしょ!」
「ホントよ。また腸閉塞にでもなったら困るから、やめなさいって言ってるのに、ママの言うことなんて全然聞いてくれないんだから。パパったら、ホント困っちゃうわ」
「ヨレヨレのジャージ姿で、このあたりなんか走られたら、私チョー恥ずかしいんだからね。わかってるのパパ? 頼むから、すぐにやめてよね、そんなダサいこと!」
「ほら、娘も嫌だって言ってるでしょ。アンタ、聞こえてるの?」
 春夫は、何も言い返そうともせずに、黙々と食事を続けている。
「それに、マラソンの後の下着って、とっても汗臭いのよ。洗濯物も増えて大変なんだから……ねえ、わかってる?」
「……るっさい!」と、ここまでじっと我慢の春夫も、とうとう堪忍袋の緒が切れた。
 こんな怒鳴り声をあげたのは、妻との結婚以来、初めてのことである。怒鳴り声をあげた春夫自身が、実は一番驚いていた。
 妻も娘も、まるで妖怪にでも出会ったかのような驚きの表情で、春夫を見つめている。
「オ、オレは、自分の健康のために走ってるんだ。ソ、そのことが、どうして悪いんだ? オ、オレが走って、お前たちに、ド、どんな迷惑をかけるっていうんだ? ……いいよ、ワ、わかったよ、セ、洗濯が大変だって言うんなら、キ、今日から、自分で洗う!」
  と言うなり、春夫はイスを蹴って立ち上がった。それから居間のドアを激しい勢いで閉め、玄関の隣のトイレに駆け込んだ。できれば、自分の書斎にでも逃げ込みたいところだったが、狭い借家住まいの身なので自分の部屋などは持ってはいない。
 春夫は、泣きたい気持ちを必死でこらえながら、勢いよく放尿した。

  翌日も、春夫は家に帰ってくるなりジャージに着替えてマラソンに出発した。ペースはつかみかけてきた。ゆっくりとしたスピードで、前日よりも距離を延ばして走ってみたが、それほど苦しくはならなかった。
 走り終えて家に入るなり、下着やジャージを全部着替え、洗濯機に放り込んでからスイッチを入れる。自分で洗うとはいっても機械は全自動である。洗濯機が止まったら、干すだけだ。その間、妻は何も言わずに夕食の準備をしている。妻とは、前日の事件以来ずっと口はきいていない。妻も謝らないし、春夫も自分から謝る気などない。こうなったら、とことん男の意地を張り通すだけである。

 夫婦関係の修復は遅々と進まないが、マラソンは日毎に成果が上がっていった。二、三日走るごとに五分ほど走る時間を伸ばしていき、ひと月も過ぎると一時間くらいまで走れるようになっていた。自動車で距離を測ってみると、ほぼ十キロの距離である。春夫は自分でも感動を覚えた。
  毎日、走ることだけを目標に頑張ってきたが、気がつくと体調もすこぶるよい。食欲は増してきたし、食後の胃もたれもない。下痢と便秘を交互に繰り返していた腸だが、最近は毎日、適度な堅さの便が元気に出てくる。ひどかった肩凝りも、ウソのように消えた。
『毎日のマラソンのおかげで、こんなに健康になったぞ!ざまあみろだ!』と内心、妻に毒づいたのはもちろんのことである。 
 と、そんな頃、新聞の広告で二十キロのハーフマラソン大会の開催記事を発見した。開催は十月第2月曜日の「体育の日」である。無目的に走っているよりも、どうせだったら目標を持って努力してる方が、張り合いもあるし、長続きもしそうである。
  さっそく申込みをすませ、残りのひと月半あまり、ハーフマラソンを目標に毎日練習を続けた。仕事から帰ってきて練習を始めるのは夜の七時頃。外はどっぷりと夜の闇である。郊外の田舎道は危険なので、街灯のある市街地の歩道を三十分ばかり走る。冷気は日毎に厳しくなり、かいた汗はすぐに冷えて背中に貼りつく。毎日走り続けることは、思っていたよりも辛いものである。しかし無言と無視が続いている妻や娘への意地もあるし、ハーフマラソンという壮大な目標もある。めげそうな気持ちを鼓舞して、春夫は孤独なマラソン練習を続行した。

  いよいよハーフマラソン大会当日を迎えた。公のマラソン大会に参加なんてするのは、もちろん初めてのことである。胃もたれが原因で走れなくなっては困るので、朝食は牛乳とバナナ一本で軽くすませることにした。
 一時間前に会場に入り、準備運動と軽い足慣らしを行った。体調は万全である。他の参加者は皆、短パンにランニング姿だが、春夫一人だけがTシャツにジャージ姿である。初めての経験だから、多少の知識不足はやむを得ない。あたりを見回すと、二十代の若者に混じり、四十代から六十代くらいと思われる中高年の参加者もけっこう多い。そんな様子をみて多少安心した。
 十時ちょうどにスタートのピストル音が競技場に響いた。春夫は、逸る気持ちを抑えながら、ゆったりとしたスピードで走り始めた。他の参加者のスピードに惑わされずに、最後まで自分のペースを守り通し、二時間を目途にゴールすることが目標である。
  空は曇り気味で、やや肌寒いくらいだが、走っていると、それも気にならなくなった。胸は苦しくないし、足取りもいつも通り快調である。二十分も過ぎると、春夫の回りには同じくらいのスピードで走るランナーが固定してきていた。
 そんな時、頭の禿げ上がった七十近い年寄りが、軽快な足取りで春夫を追い抜いていった。そのままの快調な勢いで、春夫を引き離そうとしていく。こんな年寄りにだけは負けたくないという競争心が、春夫の中でふと目覚めてしまった。気がつくと、ついついペースを上げて、その年寄りを追っていた。
 五キロ通過地点で、二十六分過ぎのタイムだった。いつもは二十九分前後だから、やや早めのペースである。まだ苦しくはないし、足も重くはない。軽快そのものだ。引き離されてなるものか。この調子で追いかけていこう。そう心に決めた。
 ところがである、十キロの折り返し地点あたりで、普段とは違う異変を感じた。体全体に力が抜けたような脱力感を感じるようになった。胸のあたりも普段よりは少し苦しい。腕時計を見ると、五十二分ほどである。いつもより七、八分も速いペースだ。いい気になってスピードを上げすぎていたのかもしれない。残念だが目の前の年寄りについていくのは諦めて、ペースをダウンすることにした。
 しかしスピードは落としても、体は重くなるばかりだし、脱力感もひどくなる一方だった。これは脱力感なんかではなく、空腹感なんだということにようやく気づいた。そういえば朝食は牛乳とバナナ一本だけだ。あんなもんでは、ハーフマラソンを乗り切るだけの体力は持たないのかもしれない。
 そう思った途端に、激しい飢餓感がムクムクと湧き上がってきた。塩味のきいた海苔巻おにぎりが、脳裏に鮮明に浮かび上がる。
 十五キロ地点の給水所で、走りながらコップをひったくり、冷水をゴクゴクと喉の奧に流し込んだ。水で空腹感をごまかそうとしたが、五分も経たないうちに、前より激しい飢餓感が募ってきた。前半のハイ・スピードのせいか足がとても重い。前に出そうとする足が、思うように出てこない。後ろへ蹴り上げる力も思うように入らない。惰性だけで、どうにか前に進んでいるだけである。
 ああ、腹が減った。海苔巻おにぎりと、それから濃厚な味噌ラーメンも喰いたい! 
 スピードは少しずつ落ちてきていた。後方からどんどん他のランナーに追い越されていく。走っている自分の体が、まるで自分の体ではないようだ。手も足も、なんとか動いてはいるが、自分の意志ではない。
 ふらつきながらもようやく競技場へと通じる最後の直線道路に出た。ゴールまで残り二キロである。もうひと踏ん張りだ。そう自分を励ました時、あたりの景色が左右に揺れ始めた。まるで震度三くらいの揺れの中を、蛇行しながら進んでいるような感覚だった。まっすぐに走ることができない。
 その時である。左足と右足が絡まったと思った瞬間、上体が宙をフワリと舞って、両腕からゆっくりと路面に倒れ込んでいた。
 両肘と右腰を激しく打ちつけ、その激痛で、しばらくは身動きもできなかった。そのままの姿勢で路面にじっとうつぶしていた。立ち上がる気力も体力も、もう身体のどこにも残っていない。もうこれまでかと、春夫はほとんど諦めかけていた。
 ここまで走ってきたのだから、自分としては金メダルである。もう十分にオレは頑張った。最高の出来である。
 ……と、ぼんやりとした意識の彼方から、誰かを励ます応援の声がかすかに聞こえてきたような気がした。
「……立ってぇー! パパー、もう少しよー!頑張って、立って走ってー、パパー!……」
 はて、どこかで聞いたことがある声だ……。歩道のほうを見上げると、中年の女性と高校生くらいの女の子が、誰かを応援しているようだ。いや、あれはオレの妻と娘じゃないか……。そうか、ずっと無視をしていながらも、心の中ではやっぱりオレのことを気にかけてくれていたんだな……
 春夫の胸の中に、熱いものが込み上げてきた。よおし、もう少し頑張るぞ……。春夫は、自分に気合いを入れると、力を振り絞って両手を路面につき、少しずつ上体を持ち上げた。両足に力を入れ、ふらつきながらも何とか立ち上がる。
 それから、一歩、二歩とおもむろに歩き始める。おぼつかない足取りで、妻と娘の前をゆっくりと通り過ぎる。
 ゴールまで、残り一キロである。

【十勝毎日新聞 2004年(平成16年)1月18日 掲載】