『フラニーとズーイ』を読んでみた

 去年の春に買って、そのまま机の上に置きっぱなしになっていた村上春樹訳の「フラニーとズーイ」を、先週くらいから手によって読んでみた。

 最初は、うまく物語の中に入っていけなかった。「なんだこの退屈な話は?」と思っていた。でも、「ズーイ」の前半を終えるくらいから、途端に面白くなってきた。若干、宗教臭い話ではあるんだけど、でも、グイグイと話の中に引きずり込まれた。

 そうだ、自分も世の中の偉そうにしている連中を胡散臭く感じてた年頃ってあった。(大学生くらいの頃だった) そんなことを思い出しながら読んだ。

 自分一人だけが、世の中の真理を真面目に追い求めていて、周りの連中は、みんな享楽的に生きてるだけじゃないかって、当時は、そんなことを考えていた。

 でも、そんなことをずっと考えていると、「フラニー」のように、余計に迷路の奥にはまり込んでいって、出口が分からなくなってしまった。

 「フラニー」は、今まさに、そんなどん詰まりの精神状況に落ち込んでいて、兄の「ズーイ」が、色々とアドバイスをして、なんとか妹を立ち直らせようとする。そんな話だ。

 村上春樹じゃないけど、「へえ、こんな話だったんだ」と、今さらながらにビックリだった。

 昔、多分、高校か大学時代くらいに、一度読みかけて、あまり面白くなくて挫折したことがあった。

 だからかもしれないけれど、読了して、感動もひとしおだった。もっと早く読んでおけばよかったなあって正直思った。

 でも、これもまた村上春樹のマネジャないけれど、60歳という、こんな年になったからこそ、この小説が面白く読めたのかもしれない。たぶんね。