「木野」をどのように受け止めるか!?

 文藝春秋に連作掲載されている「女のいない男たち3」の「木野」の物語を、どのように受け止めたらよいのか、ずっと考えています。

 話としては、すでにあちこちで解釈がなされているように、妻の浮気という事実を真正面から受け止めようとせず、その事実から目を背けて知らないふりをし続け、心に空白を抱えてしまった男の悲劇を描いています。その心の空白に呪いがかけられてしまい、男はその呪いから逃げるために旅行に出かけるわけです。

 小説のテーマとしては、村上春樹らしいし、特に目新しいものではないのですが、「妻の浮気という事実から目を背ける」行為に、呪いがかけられるという物語展開で、村上春樹が何を伝えようとしていたのかという点に、実は興味を持ちました。

 人間の気持ちとしては、悲劇を目の前にしたときに、そこから目を背けて、自分の心を安定させようとするなんて、実は普段に誰にでも起こり得ることです。

 でも、村上春樹は、そういった「事実から目を背ける行為」とったものを、この作品中で激しく糾弾しています。・・・と、僕は理解しました。

 自分の人生に否応なく降りかかってくる悲劇的な事実にも、真正面から向かい合って、泣くにせよ、哀しむにせよ、怒るにせよ、反省するにせよ、とにかく現実をしっかりと見据えて、そこを乗り越えていなくてはならない。多分村上春樹は、そう言うことを言いたかったんでしょうねえ。

 それにしても、自分の留守中に妻が浮気をしていて、その事実から目を背けたからといって、呪いを受けてしまうというのも、なんとなく解せないというか、わからないような気もするんだけどなあ・・・!?

 だって、妻が勝手に浮気をしていて、もしかしたらその行為に、主人公の男は何の罪もないのかもしれないんですよ・・・!?(逆に、浮気をさせるような原因を作っていたのかもしれないけどね・・・!?)でも、そのことは作中には何も書かれていません。

 さあて、皆さんはどういうふうに、これを理解し、受け止めますかねえ!?